ニューヨーク/ペンシルバニアの増尾好秋から
日付は米国時間での送信日.   上が新しく、下が古い

From MASUO  2008

[古いページへ] [新しいページへ]


WikiPediaロリンズの項から来た方は2007年のページをご覧ください

四角マーク さよなら The Studio 2008年1月10日 [この文のURL]

みなさん明けましておめでとう。今年もよろしく。
年末からペンシルバニアの田舎に帰って来ています。こちらは30日の夜に20cm位、それに大晦日の夜にも10cm位 雪が降ったのですっかり雪国になってしまいましたが今日(1月8日)は記録破りの暖かさだったので雪がほとんど全部溶けてしまいました。
皆さん気になっていると思いますが Sunshine Ave レーベルはもうすぐ出来ますから、もうちょっとだけ待って下さいね。
僕はこの所ずっと忙しい日々です。実は今、田舎の家にレコーディングスタジオを建築しているんですよ。いろいろあって工事の始まる予定が遅くなってしまったので冬の厳しい天候の中やっているんです。僕も出来る事はヘルプしたいので毎日みんなと一緒にドロまみれになって働いているんですよ。体中痛いけれど楽しいよ。力仕事をしているともっと元気になるんだね。こちらはお正月が無いので2日からさっそく又工事が始まっています。難関だった基礎も終り床も出来たので今日は壁を作っていました。何かと大変だけれどエキサイティングで元気いっぱいの New Year です。

今日は工事現場の外で温かい太陽に当たりながら考えていたんです。 人間には生きて行くのに夢とか希望とか将来に向かっての目標がとっても大切なんですね。それが有ると毎日がもっともっと充実して楽しく前向きに生きて行けるんですね。
今こちらアメリカは大統領予備選でものすごく盛り上がっています。というのは Democrat も Republican も全く予期しなかった新人が人々の票を集めて勝ってしまったからなんです。特に Democrat の方が面白くて、問題なく勝つと思われていた Hillary Clinton が無名の Barack Obama と大接戦になっているんです。彼はまだ 40 代の黒人。彼が打ち出しているフレッシュな考えと方針に人々が共感しているのですね。まさに夢とか、希望とか将来に向かってのポジティブなエネルギーを感じさせてくれるんです。今までみたいなプロフェショナル政治家にみんなが失望しているからなんですね。もし彼の様な人が大統領になれるとしたらアメリカは本当にすごい国だと思います。

ところで今年は僕にとって大きな方向転換をする年になります。 New York のスタジオ The Studio が1月いっぱいで終わる事になりました。2年前にスタジオのビルのオーナーが亡くなってしまい既に他の人がビルを買い取ってしまったのでこの1月で今のリースが終わると出なければならない訳なんです。この20年間、良い意味でも悪い意味でもこのスタジオが僕の仕事の中心になってしまって僕の演奏家としてのキャリアが無くなってしまいました。ここで少し僕とこのスタジオの事について書いておきたいと思います。

Photo: Building entrance of the Studio Photo: Piano in the Studio

102 Greene Street の地下にあるこのスタジオは1980年に僕の知人だった鶴田敬君が作りました。名前は Zeami Studio。 彼はその後5年間経営しましたが、個人的事情で日本に帰る事になったので僕がその後を引き継ぐ事になり名前を変えて The Studio になりました。僕はその前の数年はミッドタウンにあるミュージックビルディングに T.M Stevens とドラムの Tony Smith と一部屋をシェアーしてミュージックルームとして使っていました。自分のバンドを持ってエレクトリックバードの一連の作品を作った後の時期です。 MIDI 機材に興味を持って一人で Masuo アルバムを作っていた頃なんです。だから自然にレコーディング技術の方にも興味を持つ様になっていました。だから鶴田君(タカシ)が日本に帰ると言った時にそれなら僕がやってみようかなと思ったんです。でも柿の木 (The Tree ) の伯母さんが援助してくれなかったら出来なかった事でした。 その頃の僕は世の中の事、世間の事等に全く無知で、どうやってお金を作って生活を立てて行くのかも知らない全くアホみたいな奴だったんです。僕は若い時から人一倍ラッキーな道を歩いて来たので30過ぎになってもギターを弾く事以外の仕事をした事が無かったんです。そんな僕だったからスタジオをどうやって使って行こうかとかビジネス感覚はゼロ、将来の計画等全く持っていませんでした。でも僕は又恵まれていたんですね、物事が自然に流れて行ったんです。1986 年父が亡くなり日本に行っている時に学生時代からの知人有賀恒夫君から New York で Jazz をレコーディングしたいんだけれど....と相談され結局二人でパートナーになって JazzCity Label を始める事になりました。そこからミュージシャン以外の事をやり始めたんです。世の中はレコードから CD に変わって行く頃でした。

JazzCity Label のレコーディングエンジニアは友達の David Baker。 Sony の DAT レコーダーをレコーディングに使ったんです。 DAT が出たばかりで Tape は小さいしそんなのがいいわけないと世間ではみんな言っていたんですよ。有賀君が日本から買って持って来たんです。使ってみたら抜群に良かった。セーフティーのために同時に2台で録っていました。レコーディングのやり方は所謂一発取り。出来は本当にエンジニアの腕にかかっています。 David がやっている事を見たり聞いたり、それが最高のレッスンだったんですね。レコーディングスタジオはミッドタウンの Sound on Sound Studio。 最初の数枚はここでレコーディングしたのですがピアノがあまり良くなかったんです。 Walter Davis Jr のレコーディングの時に、試しにソロピアノを僕のスタジオで録ってみたらそれが俄然良かった。その頃は演奏する部屋が小さかったので(20畳位かな)だから David もそこではやりたくなかったんですね。でも次のレコーディングは The Studio でやってみたんです。 Rest is history !

スタジオのほとんどの機材は David の薦める物を買って集めたし彼からのアドバイスが結果的に本当にすばらしかった。だから The Studio はある意味で David Baker ( and 柿の木の伯母さん ) Studio だったんです。 (余談ですが僕がNew York に来てから最初に作ったアルバム 111 Sullivan Street は The Studio から2つ隣のビルの地下に有ったスタジオ Greene Street Recording でレコーディングして、エンジニアが David だったんです。 111 Sullivan Street は僕がその頃住んでいたアパートのアドレスなんですが、マンハッタン SOHO の地図を見て下さい、111 Sullivan Street は on Sullivan Street between Prince Street and Spring Street 、The Studio は on Greene Street between Prince Street and Spring Street ですからとっても近いんですよ。今僕が住んでいるアパートからも歩いて10分位だからとっても便利だったんです。)
レコーディング機材はDAT から始まってデジタルになって今では完全に Pro Tools の時代。ものすごく便利になりました。コンピューターの事全然解っていない僕が使っているんだからすごいね。自分でも信じられません。レコーディングというプロセスを自分の楽器の一部として使えるようになった訳ですから素晴らしい事です。

20 年前のSOHOは倉庫街で画廊が少しだけあったけれど人通りが少ないさみしい所でした。今は軒並み Armani (アルマーニ), Louis Vuitton (ルイビトン) みたいな高級店ばかり。 週末になると車も停められないファショナブルな観光地になってしまい まるで別世界です。 こんなところに今までスタジオがあったなんて奇跡だね。
このスタジオはユニークなスタジオでした。最初は有賀君と JazzCity の物を作るのが中心になっていたのですが JazzCity をやめた後からは普通の貸しスタジオとして営業を始めました。でも仕事の 99%は Jazz をレコーディングしていたんです。Jazz しかレコーディングしないスタジオなんて滅多に無いよね。そうなった一つの大きな理由はスタジオにある Steinway のピアノがとっても良かったからなんです。勿論 New York には他にもっと素晴らしい本格的なスタジオがいくらでもありますが、意外とピアノが良くないんです。だから段々ピアニストの間で評判が良くなっていったんです。(このピアノ Steinway B は、1980 年になら春子さんがタカシと Steinway の Show Room に行って選んだそうです) スタジオは一度も宣伝した事がありませんでしたが知らないうちに Jazz ミュージシャンがレコーディングする Jazz Studio になっていました。 New York Jazz シーンにとっても貢献していたんです。音楽業界が変わって行くのでレコーディングスタジオがどんどんつぶれてしまいます。 そんな中 The Studio は相変わらず Jazz 一本マイペースでやっていたので暇になる事がありませんでした。やめてしまうニュースにみんなとっても残念がっています。こんな場所がもうマンハッタンの中には存在しないかも知れませんね。 Jazz 最後の砦だったのかもしれません。
アメリカだけではなくヨーロッパや日本、アジア、世界中からのミュージシャンに使ってもらいました。プロデューサーにも気に入ってもらって、Jazz at リンカーンセンター の Todd Barkan, Steeple ChaseNils Winther, 日本からも木全信(きまた まこと)さん、原哲夫さん、川島重行さん始め 多くの方がレギュラーに来てくれて年間に数十枚の CD を制作していました。ここで改めて使ってくれた方々に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
The Studio でレコーディングした作品の全リストを作らなければね。 いろんな物があるのできっととっても面白いと思うよ。

自分から進んで入って行った訳ではないのですがプロデュース業も僕の一部になりました。良かった事は他の人の面倒を見る事やミュージシャン以外の事を経験する事によって僕もやっと一人前の大人になれた事だと自分で思っています。何時かプロデュースについての事も書きますね。この 20 年の間にこのスタジオで僕がプロデュースしたり関わったりした作品が 300 近くあり、各々いろんな思い出が有りますが僕には中でもサダオさんとチンさんに来てもらってやった Just Like Old Times のレコーディングの時の事が忘れられませんね。そのうちにそのレコーディングの事についても書きたいなと思っているんですよ。

The Studio が無くなるのは少しさみしいけれど正直な所 心残りはありません。今の僕にはとても良いタイミングなんです。次に行く事、同じ所にとどまらず変わって行く事は良い事なんですね。将来に向けて夢を追う旅が始まりました。 Sunshine Ave レーベル、久しぶりの新作 CD、今の 自分の気持と波がピッタリ合っていて又ギターリストとしての増尾好秋が出発します。

みなさん 今年も素晴らしい年になります様に!

MASUO

←写真をクリックすると拡大。(java使用で別窓に)

英語サイト側 Photosの

The Studio 写真集 にもっとたくさんあり、そこに今回 Greene Street の写真など3枚追加しました。

 

 

 

 

 

 

※The Tree とは、2008年1月現在まだアルバムに収録されていないオリジナル曲。東京の伯母さんの家に行くたび、その庭に昔からある柿の木を目にして感じる思いを、曲のイメージに重ねてそんなタイトルにした、と2000年に出演のラジオ番組でご本人が話されていた。

 

 

 

 

デビッド・ベイカー: 世界的な名 録音エンジニア。
→ Jazz Tokyoサイト内に デイビッド・ベイカー記事

 

 

 

 

 

 

※The rest is history. (あとはご存知のとおり)

 

 

 

マンハッタンSOHOエリアのマップ →別窓で開く(java使用)
または、
GoogleMap などで
◆111 Sullivan St, New York, NY 10012 USA と
◆102 Greene St, New York City, NY 10012 USA を検索してみてください。

 

※ProTools: デジタル録音、編集、ミキシングができる総合サウンド編集ツール

 

 

 

 

 

 

 


増尾好秋Webサイト Home | FmMasuo [古いページへ] [新しいページへ]

Top of the Page