from Swing Journal magazine (Sep, 1973 issue) 2
『スイングジャーナル』誌
1973年9月号


増尾好秋、
ソニー・ロリンズを語る


インタビュー by 児山紀芳
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 71年6月以来,舞台をニューヨークのジャズ・シーンに移して活躍を続けるわが国が誇る世界的ギタリストの一人,増尾好秋。その後彼は,リー・コニッツやソニー・ロリンズといったジャズの大物アーテストと共演し,ファンを驚かせました。そして,9月にはロリンズ・グループの一員として,2年ぶりの里帰りが予定されています。そこで7月初旬のある日,本誌児山編集長がニューヨークにある増尾のアパートを訪れ,ニューヨークの2年間や知られざるロリンズのエピソードなどを語ってもらいました。

SJ 日本を離れて2年になりますね。その2年間をふり返って,どういうふうに今日に至ったか,まずそのあたりから伺いたいんですが。

増尾 えーと,1971年の6月13日に日本をたって,サンフランシスコに10日間いて,すぐ直居(隆雄=ギター)と一緒にニューヨークに来たんです。着いて1ヶ月ほどボクは中村さん(照夫=ベース)の家にいて,直居は中村さんの友だちのラニー (Lanny Fields ) っていうベースのところに暮らしていました。1ヶ月くらいしてやっとアパートをみつけて,直居と2人でそっちに移って,スチューデント・ビザで来ていたから一応学校に入ったんです。演秦は,その年の12月のエルヴィン・ジョーンズのレコーディング「メリー・ゴー・ラウンド」に参加するまでは,中村さんやその友だちのラニーなど,仲間うちに入って時おりやっていたくらいてした。

SJ 「メリー・ゴー・ラウンド」のレコーディングに参加したというのはどういうきっかけからだったんですか?

増尾 70年にサラ・ヴォーンが来日しましたね。そのとき,エルヴィンのところにいるベースのジーン・パーラが一緒に来日していて,ボクたちが新宿のピット・インに出たとき遊びにきて顔見知りになっていたんです。それでポクがニューヨークに来て,スラッグスヘ聴きにいってるときバッタリ彼に会って話しているうち,近くエルヴィンのレコーディングがあるんだけど,練習にこないかって誘われたのがきっかけといえばそうですね。もっとも練習にいったそのときは,他のギターの人が入っていてボクは見ていただけなんですが……。そのあと数日たって,レコーディングの2,3日前だったと思うけど,電話がかかってきて,お前を使うからっていうことなんで,なんとなく参加したっていうわけです。

SJ そうすると,実際には全然練習しないでやったということですか?

増尾 そうです。練習は全然なし,なんかメチャクチャですよ(笑)。なにしろ,吹込のその場になってピアノのチック・コリアのところにいってあわててコードを写したり。そんな感じであのレコーディングは,ボクとしては実に不本意だったな。でも2曲やっただけで, 税込みだけど250ドルくらいもらったかな。そのあと,その年(71年)のクリスマスのころに直居が日本に帰ったんで,ボクはそのアパートに一人で暮すことになった。だいたいそのころまでがニューヨークにおけるボクの生活の第1期だったような気がします。そして,年が明けて72年の正月にプーさん(菊地雅章=ピアノ)たちがこっちに来たでしょう。チンさん(鈴木良雄)や峰さん(厚介)も一緒だったんで,あっちこっちにくっついて回ったりしたな。そのすぐあとに,入れかわりにヒロシ(村上寛)とケメ子(笠井紀美子)がやってきて,ケメ子はちょっといて日本に帰ったけど,ヒロシが残っていたんで,フランクリン・ストリートっていうダウン・タウンにあるロフトに移って,ヒロシとボクともう一人の出村君っていう友だちの3人で72年の8月くらいまで一緒に住んでいた。そのロフトっていうのは,日本では考えられないょぅな広い部屋だったんで,部屋の中に囲いを作ってヒロシのドラム練習用にしたんだけれど,しょっちゅう隣近所から苦情がきて警官がきたこともあったくらい。ともかくヒロシが来たころからだんだん仕事が多くなったみたいで,ベースの中村さんとボクとヒロシでニードルズ・アイやブルックリンなんかで演奏もした。

SJ そのくらいプレイをやり出すと,収入の面で,どうにか生活できていったわけですか?

増尾 うーん,なんていうのかな。すこしずつお金が減っていくっていう感じでしたね。今でも収支は常に赤字ですからね。黒字になったりしたら,こっちのミュージシャンに申しわけないですよ。 3人でロフトに住んていて,そのうちヒロシが日本に帰りもう一人の友だちの出村君っていうのもアメリカから離れちゃったんでボクは一人になっちゃったけど,さっき言ったベースのラニーが仕事でニューヨークを離れるというんで,ロフトを引きはらってその年の12月までボクはラニーのところにころがりこんでいた。

■リー・コニッツという人は納得のいく音楽をやる人です

SJ リー・コニッツとプレイするようになったのもそのころですね。コニッツとやるようになったのはどういうきっかけだったんですか?

増尾 友だちにトランペットのチャールス・マギーっていうのがいるんですが,彼から声かけられて仕事に行ったとき,一緒に演奏したベースのハービー・シュワルツとドラムのジミー・マディソンの2人がすぐそのあとコニッツのバンドのメンバーになるところだったんです。それでコニッツがピアノかギターをさがしているって,ボクを推選してくれたというわけです。10月だったと思うけどコニッツのところに練習に行きました。

SJ 練習というのは,どんなふうにやったんですか?そのときやった曲を覚えていますか?

増尾 <スイート&ラブリー>をやったのは覚えています。あとは,この曲やろう,なんてやっただけだから曲の名前はわからないな。それにしてもリー・コニッツという人は最初練習に行ったときは,ちょっと弱々しい感じがしたしあまりいいとは思わなかったけど,だんだん一緒に仕事を続けているうちに,やっぱりすばらしいと思った。いまじゃ最高に好きだな。コニッツとの仕事は,旧ハーフ・ノートのオンリエスト・プレースに2週間出演して,そのあと5ヶ月くらい,今年(73年)の2月くらいまでやって自然解散みたいな形で終った。

SJ リー・コニッツと一緒にプレイして,音楽的に何か気がついたことがありますか?

増尾 ええ,それまではワーッとエネルギッシュで一本槍なプレイばっかりやってたから,フィーリングの幅というかコミュニケーションのある音楽に魅かれましたね。リー・コニッツという人は,とにかく納得のいく音楽をやる人ですね。一瞬一瞬をすごく大事にしているんで,ボクにはとてもスリリングな体験でした。それに,あの人は人間としても実にカッコいい人ですね。ニューヨークにもこういう人がいるかと思うと,すごくうれしかったですよ。

SJ うれしかったっていうのはどういう意味ですか?

増尾 生き方ですね。全然イキがっていないし,人間性ですよ。他の人のことを絶対に悪くいわない人だし,ユーモラスだし,演奏そのままですね。会えばかならず好きになっちゃう人ですよ。運動神経も発達しているし……。 コニッツに関しておもしろかったのは,彼,30年月賦でスタインウェイのピアノを買ったんです。30年かかってもいいピアノのほうがいいからなんて買っておいて,この前奥さんと別れたでしょう。だから家を出ちゃったから,そのピアノも置きっ放し。ハーフ・ノートで会ったとき,家がなくて……なんていってるの,実にカッコいいですね。

それともうひとつおもしろいのは,今年のチャーリー・パーカー・メモリアル・コンサートのとき,友だちで20才のコニッツ信者のボブ・ムーバー(アルト)と一緒にコンサートを見に行ったんです。ステージに出てきたコニッツをみて2人でゲラゲラ笑い出しちゃったね。そのかっこうってのがイカしていて,20年くらい前のジャズメンのように頭を5分刈りにして,黒の背広に普通のネクタイで真目面な顔してるわけ。実にイキですね。

■ロリンズは決して変人ではなくごく普通の人間ですよ

SJ ところで,コニッッのあとソニー・ロリンズとプレイするようになりましたね。

増尾 今いったアルトのボブ・ムーバーがコニッツだけじゃなく, ロリンズにもくっついていて, ロリンズがギターをさがしているときに彼がボクを紹介してくれたんです。

SJ なるほどね。それでソニー・ロリンズとはじめてプレイしたのはいつでした?

増尾 えーと,今年の4月はじめにハーフ・ノートに一緒に出たから,その1,2週間前の3月末ですね。ボブ・ムーバーから電話があって,ソニー・ロリンズから電話がかかってくるかもしれないけど驚かないで,なんていってるから,何だろうな,なんて思ってた。そうしたら昼間の4時ごろボクがグウグウ寝ているとき,ロリンズから電話がかかってきて,セッションやるけど来ない?って誘われたんで,その日の7時半ころかな,19丁目のアップサージ・スタジオまで練習に行ったわけです。そして行ってみたら,ジェームス・レアリーっていうベースとデヴィッド・リーのドラムにロリンズの3人がもう練習しているところだった。ちょうどベーシストがソロをやっていて,ロリンズはピアノのところでホント,一生懸命聴いていたね。アンプやなんかぼくがごそごそセットしているとロリンズと目が合って, やっとボクの存在に気がついてくれた。でも, 一言もコトバはかわさないまま演奏の中に入っていったの。

SJ そのときどんな曲やってたの?

増尾 最初入っていったときやってたのは,別に曲じゃなかったみたいだけど,2曲目はロリンズが<ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド>のメロディーをちょっと吹いて,これ知ってる?なんて顔してたら, ウンまあ,なんてうなづいて,一緒にやった。曲が終ったときにはもう完全に気持がひとつになってたみたい。全然無理しなくてもいいし,不自然なところもないしなんとなく気持よくなっちゃった。ロリンズに「橋」っていうレコードがあったでしょう。あれなんか想い出してやったの。その日は2時間くらい練習やったのかな。終ってはじめて口きいて,ヤアヤアなんて……。

SJ リハーサルのときにロリンズはどんなことをいうんですか?

増尾 言葉は全然使わないですね。知らない曲をやる場合でも,ロリンズが軽くメロディーを吹いて,だんだんみんながついていって,延々何10コーラスもやって曲の感じやコードなんかが分っていくっていうやり方です。でもリズムやテンポに関してはウルサイ人ですよ。とくにドラムには……。

SJ ソニー・ロリンズと一緒にプレイするようになって何か感じたことがありますか?

増尾 そうですね,あくまでも自分の気持のまま自然にプレイするようになりましたね。やっぱりいいミュージシャンとやればやるほどよくなると思いました。

SJ ところで,ソニー・ロリンズとは4月のハーフ・ノー卜以来コンスタントにプレイしてるわけですか?

増尾 いえ,コンスタントにじゃないです。 4月に2週間ハーフ・ノートに出演して,そのあと2日くらいしてレコーディング(本誌既報の「ネクスト・アルバム」に続くソニー・ロリンズのマイルストーン・レコードからの第2作のこと)をやったんです。

SJ そのレコーディングの話を開かせてください?

増尾 ハーフ・ノートの出演が終ってすぐ,ボクは風邪をひいちゃったんです。インフルエンザみたいで, 4月の終りころのその第1回目のレコーディングのときは体調が最悪だったんです。場所はニューヨークのマーキュジー・スタジオでオリン・キープニュースのプロデュースでした。メンバーのなかには,マイルスのところにいるコンガのムトウーメなんかも入っていて……。だけどレコーディングとはいっても,スタジオにみんなが集まったら何となくはじまっちゃった感じで,ボクなんかギターをチューニングする暇もなかったくらい。最初ベースのボブ・クランショウが来ていないままはじめていたら,途中15分くらいしてボブが入ってきてそのまま演奏に加ってきた。風邪ひいていて体調がものすごくよくなかったから, 2時間くらいしてボクはガックリ疲れちゃって,今日はもうヤメたいっていったんです。いままでプレイしていて体調が悪いからヤメるっていったのは一度もなかったけど,そのときばっかりは体中の力が抜けちゃったみたいでどうにもならなかったな。それでしばらく休んでいたら,ムトゥーメがピアノを弾きはじめ,みんながそれについていって,それで1時間くらいやったのかな。最後のところになって,ボクもたまらなくなって再び加ったけどね。そのあと,6月13日に同じスタジオで2回目のレコーディングをやったし,7月23日には3回目のセッションをやることになっている。

SJ そうするとソニー・ロリンズとやった仕事をまとめるとどういうことになりますか?

増尾 えーと, 4月に2週間ハーフ・ノートに出て,それからレコーディング・セッションを2回やり,ウエスト・コーストのフェスティバル出演が1回,それに6月26日から30日までのヴィレッジ・ヴァンガードヘの出演,それにニューポートそんなところです。

SJ ロリンズという人についての感想を開かせてほしいんですが……。

増尾 やっばり同じ人間ですね。(笑) 彼だって調子の悪いときがあって,そういうときは曲だって全然浮んでこないみたいですね。例のハーフ・ノートに出演したときだって,初日はまあまあの調子だったんだけど, 2日日から4~5日間は全然よくなかった。ロリンズの場合は,次はこの曲をこういう感じでプレイすればよくなるっていうことがあらかじめわかっているわけです。だけど,前の日にその方法でやっちゃってる場合,次の日も同じ方法でやるのが照れくさいっていうか,つまらないって考えているから他の方法をみつけようとして,またメチャクチャになったりするみたいです。それに神経質なところがある人ですね。だけどけっして変人じゃないですよ。ごく普通の人間です。いま思い出したけど,ウエスト・コーストのコンサートに向う途中,飛行機の中で何となく隣に座っているロリンズをみたら物理学の本をとり出して,方程式みたいなのを一生懸命みているわけ。やっばり,音楽以前に一人の人間として生きることを真剣に考えているような印象を受けましたね。 ジャズっていう音楽は,即興演秦を主体とするものだから,その一瞬一瞬にもっとも自分を賭けている音楽ですよね。そういう点で,リー・コニッツは一緒にプレイしていてボクにすごい挑戦をしているように感じたけど,ソニー・ロリンズからもやっばりそういう感じを受けましたね。同じ曲を演秦しても,その日の雰囲気やそのときのリズムの感じによってそのつど違ったプレイをするという点では,コニッツとソニー・ロリンズは非常にセンシティヴな人ですね。いつでもその場にもっとも納得のいく音を出しますからね。ロリンズという人は,音のバランスにものすごく気をつかうから,広いコンサートのステージでやるときは調子がよく出ないんです。たとえば,ステージに立つとマイクロフォンを使いますね。そうすると,マイクっていうのは他の人がセットするものだから,いざ使ってみると自分と関係ない音,バウンドが出ちゃう場合があるんです。そうするとロリンズは,パーッとマイクから離れちゃって,ボクたちサイドメンはロリンズの音が聞こえなくなるから自分たちの音のヴォリュームを下げるでしょ,そこでもうフィーリングがずれちゃって,とそんなこんなでシラケちゃうこともあるんです。

写真:
ダウンタウンを散歩する増尾とシャーリー


(※本人によると、これはThompson Street でその頃住んでいたアパートの前。カメラアングルを少し上に向けるとそこにワールドトレードセンターが見えた。)
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■もしロリンズが日本で変なプレイしたらヤダな

SJ なるほどね。ところで,ロリンズ・グループにおいての増尾さんの役割りはどういうことだと思っているわけですか?

増尾 電気ギターっていうのは大きな音も出せますよね。だからこの楽器は,表現能力っていうかフィーリングの幅があるわけです。弱いところはもっと弱く,強いところはもっと強くというふうにフィーリングの幅を広くする役目があると思っています。ボク自身そういうところに気を使ってプレイしていますね。だから,まずロリンズの音を聞いて次にピアノを開いて,ふだんはずーっと後のほうにさがっていて,ソロをとるときやバッキングのときに前に出るようにしているんです。

SJ ロリンズの場合,演奏する曲目はどういうふうに決めるんですか?

増尾 何をやるかってのは,いっも全然決っていなくてそのつど,その場で,こんな感じでなんてメロディーを吹いてそれにみんながコードをつけたりっていう感じですね。だから,レコーディングのスタジオに行ってその曲をやつてもキーが全然違っていたりなんてこともありましたね。
 ほルとに“感じ”だけでやってるって気がする。その意味じゃ,レコードになったジャズなんてのはどうでもいいですね。実際にいつもやってる演奏とレコードじやまるで違いますから。

SJ 一緒にプレイしていて,ロリンズの調子が良いときと悪いときがあると思うんだけど,そういうのはどういうふうに感じるんですか?

増尾 良いときってのは,やってて思わず声が出ちゃいますね,ワッハハハ……なんて。後にいてウレシクなってきますね。聴きにきている客にしても,ロリンズが調子のいいときっていうのは,他に何も考えられないんじゃないかな。ロリンズの音楽の中に引っぱりこまれ,かき回され,野を駆け,出の中に入り川の中に落っこっちゃって……そんな感じになると思うんだな。ホントに良いときってのは最高に良い。そのかわり悪いときもあるけど。

SJ この前ニューポートのステージを聞いていて思ったんですが,リズム・セクションがタイムをキープしていると,突然それからはずれてロリンズがソロをはじめることがあるでしよう。そういうときってのは,後にいてやりずらいってことはないですか?

増尾 いえ,単にはずすっていうんじゃなくて,ロリンズは,リズムのフィーリングに飽きちゃうことがあって,突然パーッとリズムを変えちやうんだけど,ホントはボクらがすぐその変化についていかなきゃいけないんですね。ロリンズはよく一人でプレイしているけど,バンド全体が,ロリンズが一人でやってるようにプレイしたいわけなんです。そうなるようにボクらはやってはいるんですがコンサートのステージに出る場合はすごーく難しいですね。ジャズ・クラブでやる場合は,お互いが接近しているからいいけど,コンサートだと他の人の音が聞こえないハンデキャップがありますね。それはともかくとして,リーダーの気持ちがわかってその変化に応じて機敏に動けるってことが良いサイドメンの条件だと思っています。それがバンドのサウンドを出すってことじゃないですか。いってみればこんなこと当然のことなんですよ。だけど,いまニューヨークのどこのバンドをみても,オレがオレがっていう感じで,ドラムの音が大きくてピアノが聞こえないなんていうのはザラですよね。こっちの若いミュージシャンにしたって,変に音楽的に片寄っちゃっていますから,一つのフィーリングしかできないわけですよ。フイーリングっていうのはリラックスから緊張からいろいろ幅のあるものでしよう。それが,緊張したら緊張しっぱなしとかね,そういう音楽が多いんだな。

SJ そういう意味では,いまソニー・ロリンズと一緒にプレイしているってことは非常に充実しているってことですね。

増尾 もちろんです。ロリンズとやったあとは,すごーく調子よくなっちゃいますから,そのあとに変なミュージシャンとやって調子を狂わすのがもったいないみたいな気がします。音楽するってことは,会話するのと同じでしょう。それを,いつも自分が大声で言わなきゃコミュニケートできないっていうのは疲れますよね。そういう意味で,ボクはサダオさん(渡辺貞夫)と一緒にやったことが,大変勉強になったし,強かったと思っています。つい2,3日前のことなんですがサダオさんとチンさんの新しいレコード(「オープン・ロード/渡辺貞夫」,「フレンズ/鈴木良雄」いずれもCBSソニー)をもらって聞いたんです。すごく良かったですね。ひさしぶりに良いコンサートに行ったっていう気分でした。

SJ ソニー・ロリンズの現在のレパートリーっていうのはどんな傾向にあるんですか?

増尾 大きく分けて,スタンダードと最近ジャズ界で流行しているワン・コードの曲,それにバラードの3つになりますね。スタンダードでは,<ラヴ・レター>なんか気に入っているみたいでよくやりますね。それに<ディアリー・ビラヴド><スリーリトル・ワーズ>とか,客の注文によっては<セント・トーマス>なんかもやりますね。

SJ ところで,この秋にソニー・ロリンズ・グループのー員として日本に帰ってくるわけですけれど,どんな気持ちですか?

増尾 ええ,2年ぶりの日本ですから非常にうれしいですよ。友だちにも会えるし,今から楽しみにしているんです。ただ,ボクはロリンズがどういうふうにやって良い演奏をするかとか,ホントに良いときのロリンズを知っているだけに,もしロリンズが日本で変なプレイをしたらヤダなっていう気もするんです。

SJ 最後に奥さんのことを聞かせてください。シャーリーとはいつ結婚式を挙げたんですか?

増尾 えーと, 5月19日の午後です。どうして結婚したかっていうと,ロリンズがヨーロッパや日本なんかに行くっていうことなんで,ボクのビザもそろそろちゃんとしなければいけないっていうんで,じゃ結婚しようってことになったんです。はじめは,ニューヨークのシティ・ホールで簡単な式を挙げようと思っていたんだけど,シャーリーが20才だから,両親がついているか,またはジャッジか牧師の前に行ってやらなきゃだめだっていうんで,式の前日の夜8時ころに牧師をみつけて,翌日の2時ころに式をやろうって決めたわけ。ボクは岸田君(恵二=ドラマー)のスーツを借りて,それから友だちに電話した。当日は式の30分くらい前にワイシャッとネクタイを買ってきて,ヴィレッジ・ヴァンガードの上のほうにある教会で挙げたんです。9月に日本に帰るときはシャーリーも一緒に行く予定です。それに,市民権じゃないですがグリーン・カードといってパーマネント・ビザなんですが,これがもらえたからこれで自由に外国へも行き来できるし,好きなだけこっちに住んでることもできるんです。

SJ それでは9月のお里帰りを楽しみにしていますよ。

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